八丈太鼓まごめ会

太鼓たたいて 人さまよせてな わしも逢いたい 人があるよ

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宮島奉納演奏

 宮島・広島の奉納公演から帰京して早や12日。
準備は長かったけれど、あ っという間の2日間だった。今年は、宮島の大願寺も去年と違う嬉しい顔ぶれが参加、総勢20名程になった。準備不足のところもあり、出来栄えやお客さんの状況など、どうなることかと気をもんだが、成功の裡に終わり、ほっとしている。
 当日は記録的な猛暑の炎天で、無事勤め了せようと夢中だったが、演目内容の詳細については、ビデオを見て改めて気付かされたことが沢山あった。全体的には、変化に富んだ良い展開だったと思う。

 まず最初に、着物姿も混えた人寄せ太鼓。
 その後の短い挨拶から、煌びやかな衣装でバリ舞踊の連れ舞いへ。
 次に八丈太鼓の女打ちソロが入れ替わる。五十子が唄入りの本バタキを、柵木さんの下拍子で勤める。暑さと寝不足で、最後の方は朦朧となったが、それでもあんなに充実感があったのは、み霊に見守られていたとしか言いようがない。声も体力も思いのほか持ったのは、有り難かった。

 次のケグリは、朝鮮楽器を門外で演奏し乍ら入ってきた。この演出は、意外性があってよかった。若手3人が、民謡を入れて農楽の太鼓を聞かせる。
 この後、水野只道の本バタキソロが始まる。下拍子は五十子、唄はあしたばちゃんこと奥山味里。これにジャワ舞踊のりアントと未来さんのコラボが入る。
 初の挑戦で、野外でマイクを使わずに歌ったあしたばちゃんの声も、よく通った。太鼓も踊りも、さすがと思わせる出来栄えだったが、それだけに、コラボレーションが抱える大きな問題に気づくこととなった。互いの芸を引き立て乍ら、共に演ずることの難しさである。特に太鼓と舞踊の場合、舞い手が出るや観客の視線はどうしても踊りの動きを追ってしまう。いつもながら美見な、伸びとキレのあろリアント夫妻のデュエット。それに対する水野の太鼓も、情感と迫力に満ちた、緊張間が2度も入る会心の出来だった。けれど、踊りが前面に映し出されたビデオでは、その太鼓の聞かせどころ、見せどころが伝わるようには撮れていなかった。カメラの視点がごく一般的な観客の視点であるとすれば、打ち手として、これほど残念なことはない。それぞれが佳い出来であっただけに、この点は勿体なかったと思っている。けれどリアント夫妻は、私たちにとってこれからも大事にしていきたい、かけがえのないコラボの相手、この先も研鑽を重ねて、いつかはきっと、互いの芸をより際立たせ、生かし合える協同の作品を完成させたいと願っている。

 次はアフロブラジリアンダンスのソロ。踊る前に読んだお話しの声が小さくてよく聞こえなかったが、ダンスは、のびのびとして楽しいものだった。
 続くケグリの「棺歌」が、期待以上によかった。この日この場所、若い人たちが朝鮮の衣装で葬礼歌を語っているるのがいいと思った。
 〆は、陽介の太鼓に、踊り手全員が登場、これにケグリが入ってくるというコラボレーション。
 ゆったりとした本バタキのリズムから、3人の女舞いが出る。陽介がこの日の為に作った歌を入れ、太鼓を早くしていくと、リアントの男舞いが絡む。インドネシア組は、「ラーマーヤナ」の場面を思わせる、物語性に富んだ展開だった。そこに深紅の衣装を纏ったブラジリアンダンスも加わり、シャバタキの早いリズムになってからは、ケグリの音が入ってくる。華やかなフイフイナーレだった。
 このような場合、太鼓のソロを聞いてもらうという感覚は、根本から変えていかなければならなかったのだろう。このあたりが我々にも見えていなくて、今回の陽介には気の毒なことをしたと思っている。その意味でも、大いに勉強になった公演だった。けれどよかった!全員無事に帰ってこられたことが何より有り難い。
                                                                                    (宮島完 五十子)

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