八丈太鼓まごめ会

太鼓たたいて 人さまよせてな わしも逢いたい 人があるよ

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哀悼

この1月3日に、いつも私たちを優しい笑顔で迎えてくれた、八丈島の太鼓の師匠・浅沼亨年(ミチトシ)さんがお亡くなりになりました。

以前「まごめ通信」に載せたものですが、20年位前に、亨年さんのお話しを五十子さんが聞き書きした貴重な資料を、ここに掲載させていただきます。亨年さんが語りかけてくれるようですね。

・・・・・・・・・・

<聞き書き> 「愛好会ができた頃」 浅沼亨年

 八丈島の太鼓愛好会ができたのは、昭和三十年頃、ぼくがまだ独身で二十七~八歳だったから、今から三十年前ぐらい前だったね。
 その頃は、終戦後の延長で、島では青年団というのがしっかりとあって、青年学級というのを作ってた。ダンス・料理・コーラスとあった中で、あ、ミッチャン、太鼓も出来るじゃん、と言うことになって、太鼓の会も作ることになったわけ。
 太鼓に関しては、子供の頃から好きで、島のあちこちに出かけていって聞いて、勧められれば打って、誉められ誉められして続けていたんで、中学校の新年会のときなんかには、ミッチャンが皆に教えて演れば、なんて言われたこともあったし、あ、いいだろうてことになった。この青年学級は実は限られた短期間のものだったんだけど、そのまま気が付かないでやっていたんで、それが分かってからは、太鼓愛好会として改めて引き継ぐことにした。これが、八丈島の太鼓愛好会だね。
 会場は元の富士中学で、月・水・金の週三回だった。
 当時は、みんな食うに精一杯だったんで、八丈島でも太鼓を打てるのは、今度お正月に打とうなあ、とか、十二夜様(ママ)に、とか、お祝いや宴会の時にね、なんていう、いわば晴れの場に限られていた。
 それが週三回の定期の練習日を作ったんで、皆そういう場に飢えていたもんだから、島の太鼓打ちは、大抵寄ってくれたね。おかえ(稲田かえ)おばさん、熊あんちゃん(奥山熊雄さん)、トメノおばさん、お初おばさん、それに、大賀郷のほうからも、大きい振りで遠くから近づいて打つ先輩たちも来てくれた。
 島では、おじいちゃんおばあちゃんたちが小金を出して、家族の為に太鼓を買う風習があって、今でも実際は若い人が買った太鼓でも、お年寄りの名前を入れた方がかっこいいと皆んな思ってるの。それだけ八丈には太鼓が根づいているわけね。
 愛好会が出来たことで、(よかったことも沢山あるんだろうけど、)これは恐い間違いをしちゃったんじゃないか、と思うこともあるね。
 たとえば、今まで島の人が何の意識もなしに打っていて、教えるにしても、こうしてこうするんだとただ手で示していたものを、ぼくが分析して、言葉で教えるようになると、何しろ週三回だもので、愛好会のメンバーは、たちまちうまくなっちゃう。それを見ると、島の打ち手は、あれよあれよという間にメッタメタになっていっちゃって、人前では打たなくなってしまう。
 島のあちこちを回って太鼓を聞き歩いていた時も、まるで、神様でも取っついたんじゃないか、と思うようなもの凄い太鼓を聞けることがあるかと思えば、ダメな時はどうしてこんなになっちゃうか、と思うほどメッタメタになる太鼓もあって、練習をしていないということは、そういうことなんだけど、それだけに島の太鼓には一人々に個性的なよさがあったのよ。
 (島の)老人ホームへ行っても、この人は、末吉のおばあちゃん?このおじいちゃんは、三根の人?と判るくらいに、それぞれの打つ太鼓にはムレの個性が微妙に出るものなの。それを、ぼくが八丈島という全体的な目で太鼓を捉えていたために、愛好会になってからその個性をなくしてしまったのではないか、と思うこともあってね…。

 けれど、ぼく自身も、島の古老からいろんな影響を受けている。
 例えば、今われわれが言っている、本バタキのリズムとシャバタキのリズムは、もともとは八丈島で別々にあったもの。どちらもシャバタキと言っていたものだったんだけど、ユーキチとは違った、この二つのリズムを繋ぎ合わせて、一つの曲に構成したのは、おかえおばさんの影響だった。おかえおばさんが舞台で打つ時に、そうして打っていたんだね。
 ともにシャバタキと言われていた下拍子のうち、抑揚のある四拍子の方を本バタキ、早くなって抑揚のない二拍子をシャバタキと、区別して呼ぶようになったのも、愛好会になってからだった。ここではそう言うことにしようね、と決めて名付けた。
 それから、ぼくが作った(揃い打ち)の定型は、遠藤くん(遠藤芳雄氏)にも指摘されたことがあるけど、(樫立の)ますらお(大田大丈夫)さんの影響をものすごく受けている。形は全く違うけど、間合いや、繋がりの呼吸のようなものが、とても影響されているね。
 あの、ますらおさんの太鼓はショックだったなあ。こーんな大きなバチで、実にいい音を出してきかせる。あれはひとつの芸だと思った。
 ぼくは、よく初心者を指導するのに向いているといわれるけど、気持ちの上では、ぼく自身がいつも初心者なんだね。次から次に新しく入ってくる人の相手をしていて、自分の太鼓は、いつになっても打ち足りるということがないから。打ちたくてしかたがないのは、初心者と同じだと思う。
 (キミも)人を指導していて、自分がやってた時より、グイグイグイって上達が早いような気がして嬉しくなることがない? その人たちが舞台で打つようになると、自分の分身が打っているような気がするよね。

 今なんでぼくが太鼓をやっているかというと、年の差や男女の区別なく、太鼓を通していろんな人達と触れ合えるし、それが嬉しいからだと思う。

 来年は、たぶん歌いだす太鼓になってくるんじゃない……。歌いだす太鼓ってどんなものかーー。それは、ひ・み・つ。聞けば、たぶん皆んなも納得してくれる筈。
 もともと八丈太鼓っていうのは、小さな太鼓を使って打つもので、囃子が中心だったんだけど、それがいつのまにか太鼓が中心になってしまった。また囃子になっていくのも、いいかもしれないと思って……。 (1994年 収録)

 「カラッと明るいミッチャン太鼓が、今も皆の心に響いています。」     
                    -まごめ会の弔電よりー

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八丈島に行ってきました

八丈島に行ってきました。

くさや。 むぎぞうすい。あったかい人。
めくらへび。きのこのこ。くろはとの森。
抜ける風。 寄せる波。 流れていく。 星。

あちらこちらから   

    ドンドンドドーン ドドーン ドォーーン


島のみなさん、ありがとう。

                   <ようすけ>

八丈富士にて太鼓
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